勝間和代さん著『「有名人になる」ということ』をフリーランス編集者が読みました

読書の醍醐味として「自分の知らない世界を教えてくれる」ことが
挙げられると思う。

「有名人になる」も、まさにわたしの知らない世界を教えてくれる書籍だった。

その昔、小学生のころモーニング娘。に憧れていた身分として、(今もハロヲタなわけだが……さすがに入りたいとは思えない。当時は真剣に入りたかった。笑)
有名人になるというのは、イコールでとても楽しいことだと思っていた。
かわいい服を着てテレビに出て、おいしいものを食べて歌っている彼女たちはとてもキラキラして見えたから。

これは予測にすぎないけれども、
その頃は、有名人になるということはリスクを伴いながらも
あまりダメージをうけることというのは少なかったのではないだろうか。

なぜなら、わたしが小学生のころというのはだいたい2000年前後。
インターネットの黎明期で、ほしい情報は自ら探さないと手に入らない時代だったから。
要は、当時の芸能人たちって、アンチとか知り得なかったんじゃないだろうかと思うのだ。

そのかわり、超絶選ばれし人しか有名にはなれなかったように思う。

現在は、その逆。
インターネットの発達によって有名になるきっかけも増え、
バッシングも簡単に知ることができるようになった。

で、わたしのような一市民は「バッシングが目に見える世界って、どれほど辛いのか」は想像するしかなく、それにもかかわらず「恐ろしいに違いない」と勝手におびえて発信ができなかったりする。

したくなきゃそれでいいのですが、したいのにできないという人も多いはず。

ほかにも、自分のことを知られながら生活するって、めちゃくちゃ息苦しくないか。というのも大きな疑問のひとつだった。

『有名人になるということ』は、そんなわたしの疑問に対してぽんぽんと答えを投げかけてくれた。

わたしが一番気になっていた、バッシングありきで暮らす生活については、

勝間さんいわく、「わたしの悪口で盛り上がれるのなら、ハブのような存在になれていいのかもしれないと思うようになった」(要約)とある。

マジか。器でかすぎ。

と思ったら、直後に「ただし、わたしの見えないところに限る」と。……なんだか安心。

人の目についても、執筆当時(2012)はどうでもいいと思えるところまできたと。
一時期は人の目が気になって、変装してみたり、壁に向かって座ったりしていたそうですが、すっぴんでコンビニに行くようにもなったそう。

バッシングも、人の目についても、最初は慣れない出来事に疲弊するも
最終的に落とし所を見つける勝間さんがさすがだな。

もちろん勝間さんの感じ方がすべてというわけではないものの
「有名人=バッシングも人目もあって超大変。メリットよりデメリットの方が大きそう」

と、勝手に思い込んでいたわたしとしては目から鱗でした。

さらに感動したのが「社会を変えたい人にとって、有名になるというのは手っ取り早い手段」(要約)というフレーズ。

わたし、有名人ってほぼイコールで芸能人だと思い込んでいたので、
有名になりたいから有名になるんだと思っていたのですが
「有名」にこんな使い方があるとは……。

ただ、「一度有名になってしまうと後戻りはできない」ということも
繰り返しおっしゃっていました。
バッシングよりも、人目があるなかで暮らすことよりも、それが一番大変かもしれない。

恥ずかしながら勝間さんのようなバイタリティ溢れるタイプでないわたしは
彼女の書籍を拝読することなく29年間やってきていたのです……。

といってテレビをたくさん観るタイプでもないので、
勝間さんについての知識は「超効率的な生活をしていて、最近カミングアウトされた方」という
編集者としてどうなの? レベル。

ですが、今回この書籍を読んだことで、かなり勝間さんに興味が沸いたので
これからもいろいろと読み続けることと思います。

読書最高!

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